2017年10月30日月曜日

映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』

2017年10月30日



昨日、古くからの友達と会う約束をしていたのだが、一緒に参加する予定だったイベントは台風のため中止、友達は、なにも台風の中出掛ける必要はない、会うのは延期にしよう、というスタンスで突然予定がなくなってしまった。それも当日の朝に話し合って決めた事で、私は台風でも出掛ける予定で準備していたため、予定が突然消滅してしまった事がちょっと寂しい。そこで私は1人で映画を観に行く事にした。



と言っても、私はあまり映画を観ない主義?なので、特に映画情報をチェックしたりしない。とりあえず近所の映画館で上映されている映画を調べたところ、なんとなく気に入ったポスターを見つける。『ナミヤ雑貨店の奇蹟』。外国の映画は字幕モノは疲れるし、見ていてハラハラドキドキするお話は割と苦手。どちらかと言えば、日本のほのぼの系の映画が好きだ。これはタイトルからして、そんな感じがちょっぴりした。



『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は殆どの映画館で、朝早くか夜遅くの1日1回しか上映されていなかった。諦めて他の映画を観る事も検討してみたが、台風の中をわざわざ出掛けて行って観たい程に興味をひくものは見つからなかった。もう一度、東京都の映画館まで検索範囲を広げてみる。すると、1日2回『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を上映している映画館があったので、私は迷わずそこへ行く事に決めた。



映画は予想以上に私にぴったりな内容だった。ミュージシャンを志して大学を中退し東京で奮闘中の青年が、祖母の訃報を機に地元に戻り、そここで父親の病気の事を知る。家族や親戚が父親の後を継ぐように願う中、青年はミュージシャンを諦めて実家を継ぐ決意をするが、父親だけは“3年ぽっちで芽が出ないと言って簡単に諦めるのか、お前にとって音楽はそんな薄っぺらい夢だったのか(そんな雰囲気の言葉でした、正確な台詞は覚えていません)”と檄を飛ばすシーンが、なんだか今の自分と重なって涙がぽろぽろ。。。他にも感激したシーンは沢山あって、劇中の挿入歌の内容にも泣けた。映画館には誰かと一緒に来なくて正解だといつも思う。周り誰も泣いてないのに、私だけ泣く事がよくあるから。



そんなこんなで溢れんばかりの想いを胸に家に帰り、色々ともの思いに更けて一日を終え、今日、映画の挿入歌を作った山下達郎さんのコメントなどを読んで感動していたら、ネットの検索結果にこの映画に対する酷評を見つけた。あんなに良い映画を酷評する奴がいるなんて信じられない!私はマイナスの言葉についつい反応して、そのページを読んだ。



そのページには、色々なかたのコメントが掲載されていて、酷評ばかりではなく、酷評していたのは一部の人だけだったのだけれど、その方々の主張は①時系列が過去と現在と入ったり来たりでわかりにくい②主役は一体誰なんだ、主役が主役っぽくない、という2つのポイントについて彼らなりの感想を述べていたに過ぎなかった。言い方は過激だったし悪意も受け取れたが、本質としてのその意見はわからなくもない。確かに物語は過去と現在が交錯していて、郵便受けで繋がっているという設定なのだ。私の思考はどこかぶっ飛んでいるので、そういう時空を飛び交う系のお話が大好物で、別に「今は過去にタイムスリップ」「ここからが現在」とか厳密に考えなくても、なんとなくフワッと着地できる。しかし理論的に考えたらどう考えたっておかしいし、突っ込みどころはわんさかある。たまたま私にとっての、どストライク!なお話だったというだけかもしれない。主役についても、私は原作も読んでいないし物語の詳細を知らずに映画を観たので、そもそも観ながら誰が主人公かなんて考えもしなかった。正直、映画の宣伝上、一応主演というものを決めただけであって、私は登場人物全員が主人公であるように感じた。人生だってそうじゃないか。自分の人生は自分が主人公。父親の人生は父親が主人公。友達の人生は友達が主人公。それは誰にとってもそうで、誰にも譲る事はできないし、譲る必要もない。






そうかそうか。私の好きな要素が沢山詰まった、私を応援するための映画だったんだな!…と勝手に解釈して、再び上機嫌になった。単純だな。。。でも、要は考え方次第なんだな。全員が賛同する事はまず有り得ないし、反対勢力は必ず現れる。でも物事の本質だけを見れば、誰もがどんな意見を持っていたって良いし、人の数だけ考え方があるのは当たり前。反対意見言う人がいたって、それを受け止めなければフェアじゃないよな。ただ喧嘩吹っかけるような言い方をするから、それに反応して相手側も報復したりしてネット荒らしとかが起こったりするのかもね…なんて妙に納得したんだか、納得したフリをしているんだか、よくわからない自分がいます。最後まで読んでくれたかた、どうもありがとう!おやすみなさい。






山下達郎「reborn」を劇中で門脇麦が歌うver.
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=GMUiipgOPVY&sns=em






2017年1月19日木曜日

今年こそ成功する

2017年1月19日



今年こそ成功したい。今年こそ、という事は去年も一昨年も成功していないのか? と読者の皆さんは想像される事だろう。その通りである。私は、去年も一昨年も成功していない。その前の年は? と言うと、成功or失敗の前に、挑戦していない。何に挑戦していないかと言うと、自分の目指すところに向かって生きていない、という事だ。



社会人になってからというもの、自分の本当にやりたい事がわからないまま、適職かどうかもわからない仕事をして7年間を過ごし、その間たくさんの人に出逢い、学び、遊び、文句を言い、自分のやりたい事がなんとなく浮上してきた。このままではいけない...このままなんとなく日々に流されていてはいけない...と思い始めたので、色々と迷いはあったけれども一度仕事を辞めたわけである。



そこから挑戦が始まった。それまでは自分で自由に使える時間は仕事が休みの、本当に限られた時間しかなく、やりたい事はたくさんあるのに時間がちっとも足りない状態だったのだが、いざ仕事を辞めてやりたい事に向き合うと、24時間その事に向き合い続ける事になり、作業効率は落ち、思考力は低下して全然思うように事は運ばなかった。仕事を辞めた当時は音楽制作をスタートさせたのだが、前職在職中にぽんぽん浮かんでいたフレーズは途端に浮かばなくなるは、新しく機材を購入したまでは良いが使い方がわからず苦戦したり、歌入れの際の声が近所の苦情を呼んだりと、全く上手くいかなかった。



そもそも、前職在職中に知った北海道のバンドGalileo Galileiのライブを観て湧き上がる音楽への強い想いが溢れ、一度本気で目指したが上手くいかず諦めた音楽に違う角度から再度挑戦する事を決めたのが一昨々年。(Galileo Galileiにはライブ終了後のサインイン会で2度会っていて、その際プレゼントやファンレターまで渡していた...笑)



そんな時たまたま前の職場の先輩に、音楽制作をしている話をしたら、彼は仕事の傍ら映像制作をしているとわかり、その仲間と3人でショートムービーを作り始めるが、方向性や立場の違いから昨年、作品は何も完成しないまま一旦事実上の解散。その後、私は本当は何がやりたいのかわからなくなり、思いがけず突然アルバイトの仕事も失い、収入を失い、体調を崩し、実家に帰って2017年を迎えたのである。







2017年を私は並ならぬ想いで迎えた。何故なら鳥が大好きで自分の名前に「鳥」という字まで入れてしまったほどの私にとって、酉年の今年は大変縁起の良い年なのである。是非、今年は何か自分で満足できるような実績を残したい。今年を逃すと次はまた12年後。12年待つのはちょっと辛い。とにかく今年はやりたい事に集中するために、1年間は実家にお世話になる覚悟で、食っていくための仕事は一切しない事に決めた。



そこでまた音楽制作に戻ったのだが、これがまた上手くいかない。アルバイトをしている時にはそれなりに楽曲の案が浮かんできていたのに、いざ音楽制作だけ好きなだけやって良いとなると、アイディアがまた出てこない。焦りばかりが先走って、自分には才能がない、と無力感を味わうのだ。食っていくための仕事で失敗したとしても、性格上ダメージはそこそこで済むのだが、自分がやりたい事での挫折はなかなか厳しい。このまま悩んでいても、何も成さずに一生を終えて逝くのかもしれない…それよりは特に好きでもない仕事をして、文句を言いながらも平凡に暮らすほうが自分には合っているのかもしれない...そもそも私には音楽の才能がないのだ...などとどんどんマイナスの思考ばかり生まれてしまう。私は以前音楽学校に通っていたのでわかるのだが、音楽が本当に好きな人は、私生活からどんどん音楽が湧き出ている。バイト中に曲が浮かんだり、友人と会いながらも新しい曲が生まれていた。



音楽に才能がないのなら、せめて何か作品を生み出したい。小学校の頃の将来の夢は作家であったから本を出版するのも良いし、書道は割と好きであるから作品を書き貯めて個展を開くのも夢だ。それから前々からやってみたいと思っている声優の仕事も機会さえあれば是非是非やりたい。しかし私は無名のアマチュアの一般人であり、ツテもコネもない。







そこに素晴らしいニュースが飛び込んで来た。なんと、NHK全国のど自慢大会の地方決戦が神奈川県の、しかも私がちょっと前まで住んでいた大和市で開催されるのだ! その上、開催日がなんと母の誕生日である! これはやっと私が日の目を見る大大大チャンスかも知れない!



という事で、のど自慢大会で世の中に発信する準備をしているのだが、インパクトがあれば注目してくれる人が出てきて今までやってこなかった時分の好きな事で新しい仕事に繋げられるかも知れない…という大きな希望を持って、今、出場するためと、出場した時のための自己アピール方法を探っている。そう言えばGalileo Galileiに向けて書いた手紙に、のど自慢大会でGalileo Galileiの曲を歌って合格するのが夢だ、みたいな事を書いたっけ。Galileo Galileiの誰がその手紙を読んでくれたのか、読んでも他のファンレターに紛れて印象に残らなかったか、読まなかったかその辺は知る術がないけれど、その歌は直接Galileo Galileiのために歌うのではなくて、自分やその日誕生日の母、家族、応援してくれる友人や観てくれている観客、それから心の奥で密かに、もう一度やりたい事に向かわせてくれたGalileo Galileiにも歌うのだ。だからGalileo Galileiの曲にこだわる必要はないと思うのだけれども、でももしメンバーの誰かがその日のNHKのど自慢を見て、自分達の曲が歌われているのを聴いて、歌唱力は大した事なくて残念に思われたとしても、あの日渡した手紙の内容を思い出してくれたらすっごく素敵だなぁ…なんて思って、そんな事が起こるなんて相当レアな確率だとは思うのだけれど、なんだかそれに掛けてみたい自分もいるのだった。














2017年1月14日土曜日

視点を変えてみよう

2017年1月14日



「私、すぐ挫折してしまうんですが、いざという時に踏ん張れるのは何故ですか?」
私は、毎朝欠かさず近所の散歩が習慣であるという、芯の強い女性にそんな質問をした。小学校教師だったという彼女は、仕事をやめてから興味のある学問をもう十数年も勉強している。

「それは、何と言うか、もう人間の本能よね。毎朝散歩して、朝日が昇る瞬間を見る時間が一番幸せで、自然に力をもらうの。人間だって自然の一部なのだから、大きなもの(自然)に包まれていると思えば何とかなるっていう安心感を感じられる。見方を変えれば、いつだって気持ちは変えられるのよ」ちょっと雰囲気は違うが、こんなニュアンスの言葉をもらった。私はこれを聞いても正直あまりピンと来なかった。なので、考える風をして黙ってしまった。

しばらく沈黙が流れ、誰かが別の話を始めた。私もその話の事を忘れた頃、彼女が具体的な体験談を交えて説明してくれた。それは彼女の視点に立って話を聞くと、なんとも腹の立つ話だった。しかし後半、彼女は「でも相手の立場から考えると...」と話し出した。確かに、相手の視点から見るとその対応は当然でもあった。彼女は「一番嫌いだと思った相手が、本当は一番感謝すべき相手だったとわかった」と言っていた。私も思い込みが強いほうなので、そういう事も周りにたくさんあるような気がした。



ーーー視点を変えるーーー



あっという間に年が明けてしまった。昨年後半にひどく体調を崩し、病院に行ってばかりの年末だった。まず11月初旬に風邪を引き、その風邪が12月になっても治らなかった。治らないどころか咳は酷くなる一方で、とうとうあばら骨に痛みが走った。以前にも半年以上も咳が続いた時期があり、咳で肋骨を疲労骨折した事があったため、父が通っている呼吸器内科をすぐさま受診したのである。そこで検査したのだが、今回は肋骨までは骨折していなかったものの、肋軟骨が損傷を受けていた。しかし肺にも喉にも特に異状は見つからず、次回血液検査の結果が出るまでの間、応急処置的に飲むようにと強い咳止めをたんまり貰った。それを飲むと、ようやく少し咳が治まってきた。



1週間後、結果を聞きに行くと、思いがけない言葉を告げられた。「重度の貧血」。「いつ倒れても不思議ではない」。「通常通りの生活を送っている事が奇跡的」。数年前、職場の健康診断でも同じ事を言われ病院に行った。再び、以前通っていた大学病院の血液内科を受診する事になった。最後に受診したのが4年ほど前だったため、初診扱いに戻されてしまった。以前の医師は初診は受け付けておらず、別の医師に診てもらった。血液内科の中では「まぁそこそこの貧血」という範疇だった。これも以前と同じ。ここからわかるように、一般人からすると「重度の貧血」でも、血液の病気ばかりを集めた場所では「そこそこ貧血」くらいなのだ。「重度」と「そこそこ」ではかなり差があると思うのだが、同じ貧血の数値でも、周りの比較する集団によってこれだけ評価が違うという訳だ。



ーーー視点を変えるーーー



「新年に今年の目標を立てて、その中から1つだけ絶対に実行するものを決めて取り組みなさい」という事を、最近、人生の先輩方に言われ、もっともだと思ったので、私は今年の目標を「早起きして散歩に行く」に設定した。とりあえず、1月中は8時に起きる。それから春になるにつれて7時半、7時、夏になるにつれ6時半、6時...と徐々に早めていけば良い、と。



しかし、これなら努力次第で一番楽に達成できそうだ!と思っていたこの目標が、なんと情けない事か、2週間が過ぎた現時点で1回も達成できていないのだ。しかも努力していないのではない。携帯のアラームをかけ、目覚ましもかけているのに、携帯はスヌーズも鳴りきって電源切れる始末だし、目覚ましも知らぬ間に止めている。その時間に家族に声をかけてもらうようにもしたのだが、何回起こしても返事はするものの起きてこない!との事で、言われてみれば起こされた記憶はあるものの、結局のところ起きられてはいない。



私は睡眠時無呼吸症候群と診断された事もあり、昨年暮れからまたこの症状に悩まされ出していた。その事も重なってであろう、本当に本当に朝起きるのがここまで難しい。どうせ私はもうダメ人間なのだ。去年辞めた職場の管理者に最後に言われたように、役立たずの人間なんだ。。。と朝を迎える度に投げやりになりつつある心に、見方を変えれば午後はまだ始まったばかり!と慰めつつ、貧血で睡眠時無呼吸症候群がだんだん改善されれば、少しずつでも早起きできるようになるさ!とここで挫折せず、焦らずこのままいってみようと思えた。そう、今年はまだ始まったばかり。目標を1度もクリアできずにもう2週間も経ってしまったけれど、今年はまだ2週間しか経っていない! 今年の目標は今年1年かけて達成するもの。そうだよね?



ーーーさぁ、視点を変えてみよう?