2021年1月4日月曜日

short column 1

“That's why I named him a drummer”
First of all, this is the story of that game company's online game "sky children of the light". The game is enjoyed all over the world and you can make friends and chat with people you meet in the game.


I recognize him as a drummer. I still secretly call him a “drummer”. He is a special friend for me and the one who inspired me to communicate with friends overseas.


I studied English when I was in high school, but studying English was very difficult and boring for me and I hated it. I had almost no chance to speak English in the first place, and I wasn't interested in Western music at all at that time.


The place where I first met him was certainly a canyon. I happened to be logged in during a break from work. In the daily quest or to release the traveling spirit, we happened to open the door together. After that, when I came home without a slider race, he was there and playing the drums with a music sheet.


I'm not good at playing music sheets, but I thought that no one would be bad for music lovers, so I applied for a friend. And I named him “drummer”. Certainly that is around June.


For a while, I didn't see him online at any time, so I imagined he was probably an overseas person living in a different time zone.


A few months later, I went to the ark area with him and his friends. At that time, I had few friends, so daily quests were extremely difficult. Unfortunately, it wasn't a daily quest to hold hands with four people on this day. Even then, I was on a break from work and couldn't travel with them in other areas of GW.


Then I was very curious about what country he was from, and after a while I finally had the opportunity to talk to him. He was a Chilean person from South America that I really wanted to visit.


Then I decided to study English again to talk to him. He doesn't speak English as his mother tongue, but he speaks English clearly better than I do. In fact, my overseas friends are generally much better at English than I am. I would have taken a high school English class seriously even now. Now that I've graduated from school, I can't take English conversation lessons without paying a high tuition fee. Of course I can't afford it.


This is a memory with him. I think he doesn't remember. That's usually the case. I hardly remember the situation when I received a friend request from a friend, so even if my friend told me about that time, I was always stuck in words. 


He gave me an adventure pass as a Christmas present. It was a sudden surprise. How smart! I was so surprised that I couldn't emote or chat for a while, and I'm worried that my joy might not have been conveyed to him. I hope it can be conveyed.


Chile is a country that is not well known to the Japanese. There are some Indian, Vietnamese, Nepalese, Turkish and Brazilian restaurants in Japan, but I've never seen a Chilean restaurant. I searched on the internet and found only one in Nakano, Tokyo, so I'd like to go someday.


The text is long enough to write a column. I want to be able to write this much text without a translator someday.

2017年10月30日月曜日

映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』

2017年10月30日



昨日、古くからの友達と会う約束をしていたのだが、一緒に参加する予定だったイベントは台風のため中止、友達は、なにも台風の中出掛ける必要はない、会うのは延期にしよう、というスタンスで突然予定がなくなってしまった。それも当日の朝に話し合って決めた事で、私は台風でも出掛ける予定で準備していたため、予定が突然消滅してしまった事がちょっと寂しい。そこで私は1人で映画を観に行く事にした。



と言っても、私はあまり映画を観ない主義?なので、特に映画情報をチェックしたりしない。とりあえず近所の映画館で上映されている映画を調べたところ、なんとなく気に入ったポスターを見つける。『ナミヤ雑貨店の奇蹟』。外国の映画は字幕モノは疲れるし、見ていてハラハラドキドキするお話は割と苦手。どちらかと言えば、日本のほのぼの系の映画が好きだ。これはタイトルからして、そんな感じがちょっぴりした。



『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は殆どの映画館で、朝早くか夜遅くの1日1回しか上映されていなかった。諦めて他の映画を観る事も検討してみたが、台風の中をわざわざ出掛けて行って観たい程に興味をひくものは見つからなかった。もう一度、東京都の映画館まで検索範囲を広げてみる。すると、1日2回『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を上映している映画館があったので、私は迷わずそこへ行く事に決めた。



映画は予想以上に私にぴったりな内容だった。ミュージシャンを志して大学を中退し東京で奮闘中の青年が、祖母の訃報を機に地元に戻り、そここで父親の病気の事を知る。家族や親戚が父親の後を継ぐように願う中、青年はミュージシャンを諦めて実家を継ぐ決意をするが、父親だけは“3年ぽっちで芽が出ないと言って簡単に諦めるのか、お前にとって音楽はそんな薄っぺらい夢だったのか(そんな雰囲気の言葉でした、正確な台詞は覚えていません)”と檄を飛ばすシーンが、なんだか今の自分と重なって涙がぽろぽろ。。。他にも感激したシーンは沢山あって、劇中の挿入歌の内容にも泣けた。映画館には誰かと一緒に来なくて正解だといつも思う。周り誰も泣いてないのに、私だけ泣く事がよくあるから。



そんなこんなで溢れんばかりの想いを胸に家に帰り、色々ともの思いに更けて一日を終え、今日、映画の挿入歌を作った山下達郎さんのコメントなどを読んで感動していたら、ネットの検索結果にこの映画に対する酷評を見つけた。あんなに良い映画を酷評する奴がいるなんて信じられない!私はマイナスの言葉についつい反応して、そのページを読んだ。



そのページには、色々なかたのコメントが掲載されていて、酷評ばかりではなく、酷評していたのは一部の人だけだったのだけれど、その方々の主張は①時系列が過去と現在と入ったり来たりでわかりにくい②主役は一体誰なんだ、主役が主役っぽくない、という2つのポイントについて彼らなりの感想を述べていたに過ぎなかった。言い方は過激だったし悪意も受け取れたが、本質としてのその意見はわからなくもない。確かに物語は過去と現在が交錯していて、郵便受けで繋がっているという設定なのだ。私の思考はどこかぶっ飛んでいるので、そういう時空を飛び交う系のお話が大好物で、別に「今は過去にタイムスリップ」「ここからが現在」とか厳密に考えなくても、なんとなくフワッと着地できる。しかし理論的に考えたらどう考えたっておかしいし、突っ込みどころはわんさかある。たまたま私にとっての、どストライク!なお話だったというだけかもしれない。主役についても、私は原作も読んでいないし物語の詳細を知らずに映画を観たので、そもそも観ながら誰が主人公かなんて考えもしなかった。正直、映画の宣伝上、一応主演というものを決めただけであって、私は登場人物全員が主人公であるように感じた。人生だってそうじゃないか。自分の人生は自分が主人公。父親の人生は父親が主人公。友達の人生は友達が主人公。それは誰にとってもそうで、誰にも譲る事はできないし、譲る必要もない。






そうかそうか。私の好きな要素が沢山詰まった、私を応援するための映画だったんだな!…と勝手に解釈して、再び上機嫌になった。単純だな。。。でも、要は考え方次第なんだな。全員が賛同する事はまず有り得ないし、反対勢力は必ず現れる。でも物事の本質だけを見れば、誰もがどんな意見を持っていたって良いし、人の数だけ考え方があるのは当たり前。反対意見言う人がいたって、それを受け止めなければフェアじゃないよな。ただ喧嘩吹っかけるような言い方をするから、それに反応して相手側も報復したりしてネット荒らしとかが起こったりするのかもね…なんて妙に納得したんだか、納得したフリをしているんだか、よくわからない自分がいます。最後まで読んでくれたかた、どうもありがとう!おやすみなさい。






山下達郎「reborn」を劇中で門脇麦が歌うver.
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=GMUiipgOPVY&sns=em






2017年1月19日木曜日

今年こそ成功する

2017年1月19日



今年こそ成功したい。今年こそ、という事は去年も一昨年も成功していないのか? と読者の皆さんは想像される事だろう。その通りである。私は、去年も一昨年も成功していない。その前の年は? と言うと、成功or失敗の前に、挑戦していない。何に挑戦していないかと言うと、自分の目指すところに向かって生きていない、という事だ。



社会人になってからというもの、自分の本当にやりたい事がわからないまま、適職かどうかもわからない仕事をして7年間を過ごし、その間たくさんの人に出逢い、学び、遊び、文句を言い、自分のやりたい事がなんとなく浮上してきた。このままではいけない...このままなんとなく日々に流されていてはいけない...と思い始めたので、色々と迷いはあったけれども一度仕事を辞めたわけである。



そこから挑戦が始まった。それまでは自分で自由に使える時間は仕事が休みの、本当に限られた時間しかなく、やりたい事はたくさんあるのに時間がちっとも足りない状態だったのだが、いざ仕事を辞めてやりたい事に向き合うと、24時間その事に向き合い続ける事になり、作業効率は落ち、思考力は低下して全然思うように事は運ばなかった。仕事を辞めた当時は音楽制作をスタートさせたのだが、前職在職中にぽんぽん浮かんでいたフレーズは途端に浮かばなくなるは、新しく機材を購入したまでは良いが使い方がわからず苦戦したり、歌入れの際の声が近所の苦情を呼んだりと、全く上手くいかなかった。



そもそも、前職在職中に知った北海道のバンドGalileo Galileiのライブを観て湧き上がる音楽への強い想いが溢れ、一度本気で目指したが上手くいかず諦めた音楽に違う角度から再度挑戦する事を決めたのが一昨々年。(Galileo Galileiにはライブ終了後のサインイン会で2度会っていて、その際プレゼントやファンレターまで渡していた...笑)



そんな時たまたま前の職場の先輩に、音楽制作をしている話をしたら、彼は仕事の傍ら映像制作をしているとわかり、その仲間と3人でショートムービーを作り始めるが、方向性や立場の違いから昨年、作品は何も完成しないまま一旦事実上の解散。その後、私は本当は何がやりたいのかわからなくなり、思いがけず突然アルバイトの仕事も失い、収入を失い、体調を崩し、実家に帰って2017年を迎えたのである。







2017年を私は並ならぬ想いで迎えた。何故なら鳥が大好きで自分の名前に「鳥」という字まで入れてしまったほどの私にとって、酉年の今年は大変縁起の良い年なのである。是非、今年は何か自分で満足できるような実績を残したい。今年を逃すと次はまた12年後。12年待つのはちょっと辛い。とにかく今年はやりたい事に集中するために、1年間は実家にお世話になる覚悟で、食っていくための仕事は一切しない事に決めた。



そこでまた音楽制作に戻ったのだが、これがまた上手くいかない。アルバイトをしている時にはそれなりに楽曲の案が浮かんできていたのに、いざ音楽制作だけ好きなだけやって良いとなると、アイディアがまた出てこない。焦りばかりが先走って、自分には才能がない、と無力感を味わうのだ。食っていくための仕事で失敗したとしても、性格上ダメージはそこそこで済むのだが、自分がやりたい事での挫折はなかなか厳しい。このまま悩んでいても、何も成さずに一生を終えて逝くのかもしれない…それよりは特に好きでもない仕事をして、文句を言いながらも平凡に暮らすほうが自分には合っているのかもしれない...そもそも私には音楽の才能がないのだ...などとどんどんマイナスの思考ばかり生まれてしまう。私は以前音楽学校に通っていたのでわかるのだが、音楽が本当に好きな人は、私生活からどんどん音楽が湧き出ている。バイト中に曲が浮かんだり、友人と会いながらも新しい曲が生まれていた。



音楽に才能がないのなら、せめて何か作品を生み出したい。小学校の頃の将来の夢は作家であったから本を出版するのも良いし、書道は割と好きであるから作品を書き貯めて個展を開くのも夢だ。それから前々からやってみたいと思っている声優の仕事も機会さえあれば是非是非やりたい。しかし私は無名のアマチュアの一般人であり、ツテもコネもない。







そこに素晴らしいニュースが飛び込んで来た。なんと、NHK全国のど自慢大会の地方決戦が神奈川県の、しかも私がちょっと前まで住んでいた大和市で開催されるのだ! その上、開催日がなんと母の誕生日である! これはやっと私が日の目を見る大大大チャンスかも知れない!



という事で、のど自慢大会で世の中に発信する準備をしているのだが、インパクトがあれば注目してくれる人が出てきて今までやってこなかった時分の好きな事で新しい仕事に繋げられるかも知れない…という大きな希望を持って、今、出場するためと、出場した時のための自己アピール方法を探っている。そう言えばGalileo Galileiに向けて書いた手紙に、のど自慢大会でGalileo Galileiの曲を歌って合格するのが夢だ、みたいな事を書いたっけ。Galileo Galileiの誰がその手紙を読んでくれたのか、読んでも他のファンレターに紛れて印象に残らなかったか、読まなかったかその辺は知る術がないけれど、その歌は直接Galileo Galileiのために歌うのではなくて、自分やその日誕生日の母、家族、応援してくれる友人や観てくれている観客、それから心の奥で密かに、もう一度やりたい事に向かわせてくれたGalileo Galileiにも歌うのだ。だからGalileo Galileiの曲にこだわる必要はないと思うのだけれども、でももしメンバーの誰かがその日のNHKのど自慢を見て、自分達の曲が歌われているのを聴いて、歌唱力は大した事なくて残念に思われたとしても、あの日渡した手紙の内容を思い出してくれたらすっごく素敵だなぁ…なんて思って、そんな事が起こるなんて相当レアな確率だとは思うのだけれど、なんだかそれに掛けてみたい自分もいるのだった。














2017年1月14日土曜日

視点を変えてみよう

2017年1月14日



「私、すぐ挫折してしまうんですが、いざという時に踏ん張れるのは何故ですか?」
私は、毎朝欠かさず近所の散歩が習慣であるという、芯の強い女性にそんな質問をした。小学校教師だったという彼女は、仕事をやめてから興味のある学問をもう十数年も勉強している。

「それは、何と言うか、もう人間の本能よね。毎朝散歩して、朝日が昇る瞬間を見る時間が一番幸せで、自然に力をもらうの。人間だって自然の一部なのだから、大きなもの(自然)に包まれていると思えば何とかなるっていう安心感を感じられる。見方を変えれば、いつだって気持ちは変えられるのよ」ちょっと雰囲気は違うが、こんなニュアンスの言葉をもらった。私はこれを聞いても正直あまりピンと来なかった。なので、考える風をして黙ってしまった。

しばらく沈黙が流れ、誰かが別の話を始めた。私もその話の事を忘れた頃、彼女が具体的な体験談を交えて説明してくれた。それは彼女の視点に立って話を聞くと、なんとも腹の立つ話だった。しかし後半、彼女は「でも相手の立場から考えると...」と話し出した。確かに、相手の視点から見るとその対応は当然でもあった。彼女は「一番嫌いだと思った相手が、本当は一番感謝すべき相手だったとわかった」と言っていた。私も思い込みが強いほうなので、そういう事も周りにたくさんあるような気がした。



ーーー視点を変えるーーー



あっという間に年が明けてしまった。昨年後半にひどく体調を崩し、病院に行ってばかりの年末だった。まず11月初旬に風邪を引き、その風邪が12月になっても治らなかった。治らないどころか咳は酷くなる一方で、とうとうあばら骨に痛みが走った。以前にも半年以上も咳が続いた時期があり、咳で肋骨を疲労骨折した事があったため、父が通っている呼吸器内科をすぐさま受診したのである。そこで検査したのだが、今回は肋骨までは骨折していなかったものの、肋軟骨が損傷を受けていた。しかし肺にも喉にも特に異状は見つからず、次回血液検査の結果が出るまでの間、応急処置的に飲むようにと強い咳止めをたんまり貰った。それを飲むと、ようやく少し咳が治まってきた。



1週間後、結果を聞きに行くと、思いがけない言葉を告げられた。「重度の貧血」。「いつ倒れても不思議ではない」。「通常通りの生活を送っている事が奇跡的」。数年前、職場の健康診断でも同じ事を言われ病院に行った。再び、以前通っていた大学病院の血液内科を受診する事になった。最後に受診したのが4年ほど前だったため、初診扱いに戻されてしまった。以前の医師は初診は受け付けておらず、別の医師に診てもらった。血液内科の中では「まぁそこそこの貧血」という範疇だった。これも以前と同じ。ここからわかるように、一般人からすると「重度の貧血」でも、血液の病気ばかりを集めた場所では「そこそこ貧血」くらいなのだ。「重度」と「そこそこ」ではかなり差があると思うのだが、同じ貧血の数値でも、周りの比較する集団によってこれだけ評価が違うという訳だ。



ーーー視点を変えるーーー



「新年に今年の目標を立てて、その中から1つだけ絶対に実行するものを決めて取り組みなさい」という事を、最近、人生の先輩方に言われ、もっともだと思ったので、私は今年の目標を「早起きして散歩に行く」に設定した。とりあえず、1月中は8時に起きる。それから春になるにつれて7時半、7時、夏になるにつれ6時半、6時...と徐々に早めていけば良い、と。



しかし、これなら努力次第で一番楽に達成できそうだ!と思っていたこの目標が、なんと情けない事か、2週間が過ぎた現時点で1回も達成できていないのだ。しかも努力していないのではない。携帯のアラームをかけ、目覚ましもかけているのに、携帯はスヌーズも鳴りきって電源切れる始末だし、目覚ましも知らぬ間に止めている。その時間に家族に声をかけてもらうようにもしたのだが、何回起こしても返事はするものの起きてこない!との事で、言われてみれば起こされた記憶はあるものの、結局のところ起きられてはいない。



私は睡眠時無呼吸症候群と診断された事もあり、昨年暮れからまたこの症状に悩まされ出していた。その事も重なってであろう、本当に本当に朝起きるのがここまで難しい。どうせ私はもうダメ人間なのだ。去年辞めた職場の管理者に最後に言われたように、役立たずの人間なんだ。。。と朝を迎える度に投げやりになりつつある心に、見方を変えれば午後はまだ始まったばかり!と慰めつつ、貧血で睡眠時無呼吸症候群がだんだん改善されれば、少しずつでも早起きできるようになるさ!とここで挫折せず、焦らずこのままいってみようと思えた。そう、今年はまだ始まったばかり。目標を1度もクリアできずにもう2週間も経ってしまったけれど、今年はまだ2週間しか経っていない! 今年の目標は今年1年かけて達成するもの。そうだよね?



ーーーさぁ、視点を変えてみよう?












2016年10月18日火曜日

気持ちがついていかない

2016年10月18日

…頭ではわかっていても、気持ちがついていかない事ってないですか?



私は今、まさにそんな状況下にいます。先月仕事を辞め、実家に戻り、実家の部屋を片付けつつ、家事手伝いをして養ってもらっていますが、家族となかなか正しくコミュニケーションが出来ず、悶々と暮らす生活。そもそも両親と私は、全く考え方、価値観や感じ方が全く違うので、何事もなく毎日一緒に生活するのは大変に難しいのです。しかも、他人ならばそんなに踏み込んでこないものも、家族は平気で入ってくる。私のほうは基本、家族相手に踏み込みもしない代わりに、踏み込んでこられるのはすごくストレスになるんですが、母は「家族だから」踏み込むらしいんですよね。大切に思ってくれていて、心配してくれる気持ちはわからなくもありませんが、本当に苦手。これが毎日続くと、いずれ我慢の限界に達して、ちょっとしたものの言い方などから大喧嘩に発展する危険な状態になっています。



まぁそうなるのも当然と言えば当然、私は働きに出ないのでずーっと家にこもって自分の最も苦手とする「片付け」と「家事」しかやってないのですから、気分転換もなにもありません。とりあえず今月の目標は「4年間使っていなかった倉庫と化した自分の部屋を片付けて、生活に支障がないように整理整頓して未来に備える」なのですが、それが思うように捗らず、正直もういい加減この生活から抜け出したい気分なのです。そこをクリアできればやっと正式に「引越し」ができて、そこで今まで住んでいたアパートの家賃発生を阻止できるのです。そうなんです。お恥ずかしい事に、なんとなんと、実家にいない間に部屋にモノが溢れて、引越し先からの荷物を収納できるスペースが無くなっていたのです。



だから、仕事するよりもなによりもまず、引越しの荷物を全て収納するスペースを設けるだけの実家の整理整頓が早急に必要なんです。しかし母方の祖母→母→私と、片付けのセンスが全く無く、祖母の介護関係のケアマネさんが来る度に、玄関・廊下・リビング・祖母の部屋の荷物をトイレや風呂場や階段の踊場などに大移動させて、その度に「片付ける前までここにあったのにどこかへ消えてしまったモノ」が大量発生し、使いたい時に見つからずまた新たに買いに行く、そのせいで更に家のストックが膨張し、モノを移動させる度に腰を悪くしている母…。その娘である私が、さっさと整理整頓ができたら奇跡的なんだけど、そんな夢みたいな現実は勿論無くて...。



約1ヶ月間、掃除と整理整頓し、使わないのに置いてある家具や楽器をハードオフに持って行き、やっと昨日ベッドの位置を移動させて冬仕様にしました。しかし、その時に気を利かして手伝いに来てくれた母のお節介度に、私はもう辟易で...。せっかく手伝いに来てくれたんだから間髪入れずに追い返すのは悪いし…なんて思いながらだんだんと母のペースにはまっていき、心のモヤモヤが募るばかり。模様替えと布団替えこそしたものの、その時に母が勝手に触れて欲しくない部分にまで踏み込んできた事を思うと、新しい部屋に身を置いてもモヤモヤが増すばかり。そして新しい朝を迎えても母に言われた不本意な事ばかり繰り返し思い出してしまって本当にどんより。片付けを始める際に、母には「手伝って欲しい時や、意見を聞きたい時には言うから、それ以外にはわざわざ介入しないでね」と最初に断っておいたのに。



忘れているのか!と思って今日憤って聞いてみたら「あなたにそう言われたから私は何も介入してないでしょ」と言われた。母には自覚が無いらしい。そして私がひどく怒っている事にがっかりして寝込んでしまった。私もふて寝した。




いつもこのパターン。母とは相性が悪く、噛み合ってない事は知っている。

母と母方の祖母も実の親子なのに全く噛み合っていない。それで母は祖母の介護にひどく苦戦していて、私はそれを少しでも手伝うために実家に戻って来た。しかし、母とぎくしゃくすると上手く手伝いができない。手伝うために実家に戻って来たのだから、感情に流されて放任していてはダメだ、と自分に言い聞かせるのだけれど、頭ではそう思うのだけれど、このような状況下では気持ちがついていかない。

この家でしばらく生活してゆけるのだろうか。







2016年9月21日水曜日

過去との決別 (仕事を辞めて)

2016年9月21日



随分と月日が経っていた気がした。
前回の投稿からちょうど3ヶ月が経っている。
私は仕事を辞めた。



それは、とても衝撃的な事だった。とても私には想定外な事件で、到底納得がいくものではなかった。仕事を辞めてから既に10日以上経つのに、未だに心の整理はついていない。





最初は、沸き上がる怒りから、事の顛末をこのブログに綴ろうと思った。しかし、よくよく考えて私はそれを留まった。そんなもの読んで、誰が楽しくなるのだろう。それが答えだった。

仕事を辞めてから、私は期間を決めずに実家に帰り、今も滞在している。両親には仕事で何があったかを話したが、最初は聞いてくれたものの、一定期間経つと「もう嫌な事は忘れて、前を向きなさい」というモード。そりゃそうだ、誰も辛い話なんて聞きたくないものな。





いつでも前を向いている事は大事な事だ。テレビで紹介されていたパラリンピックの選手達は、皆障害を抱えていても前を向いていた。厳しい練習を重ねる姿には涙が出るし、車椅子バスケットボールの選手が言った「意志あるところに道はある」という名言には感動した。私もくよくよしてる場合じゃないぞ、と思うのである。



私は、気持ちを封印して新しい生活を始めたつもりだった。しかし、ちっとも進まなかった。何かにつけて、最後の日の怒りを思い出してしまう。夢には一緒に過ごした子供達が現れる。そして私は全然吹っ切れていない事を自覚する。







そう言えば、私は長い間日記を書いていた。日記を書き始めたのは小学4年生の時。当時は毎日、日記を書く事が宿題だった。どんなに少なくても、絵を描いても良かった。翌日担任の先生に提出して、必ず一言コメントをくれるのが嬉しかった。その後、小学校を卒業して、日記の宿題が出なくなってからもしばらく日記を書いていた。他人に見せるのもではなくなったので、人に言えない心の叫びをぶつける場でもあった。そう、私には兄弟がいないし、親は何でも話せる程親しくはなかった。そんな私には日記があって、日記に向き合う事で心の中を整理していたんだと思う。







日記を書かなくなってどれくらいが経つのだろう? 仕事をし出してからもちょくちょく書いていた日記を書かなくなったのは、そもそもいつ頃からだろうか。



前の(今回辞めた仕事の前の)仕事を辞めてから、そう言えば日記を書かなくなっていた。それまでは、1週間に一度くらいは何か書きたいようなワクワクした事が周りで起こっていた。日記に嫌な事は書かない。後で読み返した時に再び嫌な気分が蘇るからだ。前の仕事は7年間続けた。色々あったけど、結構楽しい事も多かったし、友達はたくさんいたし、今思えば割と自分に向いている仕事だったのかもしれない。







新しい仕事(先日辞めた仕事)に就いてからは、恋もしていない…。そう言えば、周囲にワクワクする事がどんどん減ってきていた。







何かワクワクする事をしよう。
ワクワクするのは、今後どうなっていくかワクワクするという事。
未来を感じて、ワクワクする事。
未来を感じて、ワクワクできれば、辛い練習にも耐えられるとパラリンピックの選手が教えてくれた。ワクワクしている人の周りには、ワクワクしたい人がどんどん集まって、相乗効果でどんどんどんどんワクワクする出来事が舞い降りてくる。そんなワクワクする仕事を私はしたいと思う。





しんみりしてしまう場所やイライラしてしまう場所は迷う事なく去れば良い。引き留める人がいようとも、同情して留まる義務はなかったのだ。私は6月に感じた管理者に対する違和感を信じて、どんなに止められようとその時点で仕事を辞めても良かったのだ。





3ヶ月遅くなったが仕事は辞めた。
このブログは、未来に向けてのワクワクを詰め込んだ、楽しいものにしよう。
ちょっとしんみりする話も、理不尽でイライラする事柄も、一時の笑い話になるように書き綴っていこう。そして、新たな出逢いや再会を密かに期待している(≧∇≦)










2016年6月21日火曜日

最近仕事が楽しくない

2016年6月21日



最近仕事が楽しくない。先月の事件(前回のブログ「何かが違う」に記載)の後、一度管理者側と話し合いをした。その場で私は「野放し」という言葉は不適切であった事、子供の前で職員のダメ出しをした事は超不適切だった事を全面的に謝罪された。その上で、管理者側も手探りである事、意見を出し合って職場を良くしていこう、という結論に収まって、私は機嫌を直し、これまで通り仕事を続ける事にした。



しかし、これまで約5ヶ月間担当していて一番意思の疎通が図れていた男児(仮にAとする)の担当を外されてしまった。そして勿論前回のブログに書いたKもSも担当を外された。そして全く初めてのF、それから以前一度だけ付いてあまりコミュニケーションがとれなかったNの担当になった。



管理者も一から丁寧に説明してくれるようになった。しかし新しい子供の好きな事・苦手な事もわからず、どんな行動をするのか予知できず、気が抜けない日々が続き、精神的に参ってきた。以前のように、週に1日でも気が知れた子供と付き合えた事は自分の中で仕事に対する意欲を保つ材料としてはとても大きかった。Aとの会話の中で、私の事を心配してくれたり「ありがとう」と言ってくれた事がかなり私を助けていてくれたのだと今になって実感した。



Aの担当を外された日、私は管理者の指導の元、屋外でのFの訓練を始めていた。Aと顔を合わせたのは夕方の遅い時間で、閉所時刻の30分程前だった。Aは遠目に新しい担当者と楽しく遊んでいるようにも見えた。私はAに付いた当初、試行錯誤だったので、他の職員なら最初から上手く遊ばせる事ができるのか…と思い、正直少しがっかりした。担当外の子供と遊んだり長く会話する事は禁じられているため、楽しく遊んでいるようだったのであえて私から声を掛ける事はしなかった。帰る時、Aとチラッと目が合った時に声を掛けたのだが、どういう訳か彼はさっと目を逸らして何も言わずに帰って行った。担当外になると会話も成立しないのか…と思って私はかなりがっかりした。彼は大変真面目に物事を捉える傾向があるので「担当以外の人と遊んではいけない」という当事業所のルールが強く入っているのではないかとも思う。彼との関係も今はゼロなのか。



FやNが気に入らない訳ではない。しかし以前Fを3ヶ月間程担当し、Aに付いた職員には「Aはあなたが担当した期間が長過ぎて、あなたのファンだから私がやるとすっごく難しい。何かにつけてあなたの事を持ち出してくるしなぁ、やりづらいゎ〜。私はFのほうがずっとやってて楽しいよ」と言われたので、Aもそうそう楽しく遊んでばかりもいないようだった。しかもAを扱いにくいと言われた事も、最近落ち込んでばかりの私を立ててくれただけかもしれないが、なんだかモヤモヤしてしまった。



管理者は「今あなたをFにつける事は正直Fのためではないんです。あなたに仕事を覚えてもらうためにFを付けるんです。Fの支援ができるようになれば、今まで上手くいかなかったKやSと次に関わった時に、これまでとは違う手応えが得られるはずです」と言って私にFを付けた。その理論は十分理解できる。それは真実だろう。Fはとても良い子だ。Fと関わって仕事のスキルを上げられるならば有り難いが、Fは頑張って新しい担当者のやり方にやっと慣れた頃に、また別の新しい担当者に取り替えられる。うちの職場はそれくらい職員の入れ替わりが激しい。私の後に5人程入って3人が既に辞めている。Fは完全に職員の練習材料になっている。なんだか居たたまれない。Fだって調子の悪い時あるのに。「調子が悪い」って言葉に出せないだけなのに。そのうちAも練習材料になってしまいそうだ。重い障害を持っているのに、みんな職員の練習材料となってしまっている…。



当事業所では障害の重い子供ばかり預かっていて、なかなか仕事はキツイ。よって職員の入れ替わりが激しいので、短期間に職員を補填するために無資格・未経験OKになってしまう。そして事ある毎に管理者から「申し訳ないけれど、言わせてもらえばあなた達は無資格じゃないですか」と言われてしまう。しかし自分もそうだが、無資格・未経験では埋められない部分も大きい。



それならうんと勉強して資格を取ってしまえば良いか…‼︎ と一時期は意気込んだが、よく考えてみると、資格を取っただけで、自分はもう有資格者なんだから私の考える支援に対して一切口を挟まないでいただきたい…‼︎ と自信に満ちた態度で仕事をするのもなんだか違う気がする。そもそも仕事を自分のやり方で貫きたい、他から文句を言わせないようにしたい…という理由で資格を取る事自体間違っているだろうし、それでは職場のチームワークは発揮できないどころか、話し合う事を最初から拒絶している態度である。




違う。傲慢に仕事をするための資格じゃないんだ。資格と言ったって机上のもの。やはり経験には敵わない。だから結局は自分の知識や自信には繋がるけれど、それで全てが思い通りにいく訳ではないし、過信は禁物。…と述べるよりも先に資格取得には、かなりの時間を勉強に割かないといけないし、そこから受験して一発で受かれば良いが…とにかく一朝一夕にできるものではない。そもそも気力だけで取れるものではない。そこまでしてこの仕事を続けていきたいと思っているの…? とこっそり自分に聞いてみるけれど、すぐに「別に。そうでもない」という答えが返ってくる。




事業所の悪口を言いたい訳ではないんだ。管理者は本当は良い人だし、話を聞いてみると決して今のままで良いと思っていない、試行錯誤なんだ。だけど私には職場全体が上手く機能していないように見える。でも私にも何がベストなのかベターなのかがわからない。職員の都合もあり、毎日ギリギリの選択で管理者が担当を割り振っている事もわかる。みんなもっと職場を良くしたい…気持ち良く仕事をしたい…と思っている。なのに上手くいってない。日に日に仕事が楽しくないどころか、なんだか人生不条理で悲しくなってきた(>_<)






転職…しようかな。