2015年9月26日土曜日

滑り出し不調。逆転なるか?

2015年9月27日



何かが違う。

しかし、一体何が違うんだろう。




昨日は、誰とも会わずに、家から一歩も出ずに、食事も全然取らずに、今取り組んでいる楽曲のドラム打込み作業に没頭していた。そんな誕生日。こんな誕生日なんて初めてだ。歳をとったのだなぁ。










で、せっかく今朝4時までちょこちょこ修正して、一応リズムはできたから歌入れてみるか!って事で今日歌を入れてみたんだけど、とにかく歌いづらくて、一応録ってみたのだが、なんだこの歌! 決して歌が上手いわけではない事はわかっている。わかっているさ! だけど、こんなに下手だったか?



前作でも結局私が歌ったテイクを使うつもりでいるが、一応歌えているし聴き苦しい感じはない。ないと思うんだ。しかし、今回のはなんだ! これではせっかくの音源を世に公開できるレベルじゃない。この歌いづらさは尋常じゃないし、歌っている最中、自分の歌声が良く聴こえない。



レコーディング時の音響設定がおかしいのだろうか?

はたまた曲のキー設定がおかしいのだろうか?

最近ボイトレとか全然してないから、そもそも本当に歌が下手になったのか?




どれも当てはまるような気がする。




曲作りがなかなか進まないので、部屋の片付けをする事にした。

楽曲制作に一旦取り掛かると、部屋はぐちゃぐちゃ、寝る時間もめちゃくちゃ、食事も食べたり食べなかったりばらばらで、日常生活もままならなくなる。だから仕事をしながらできない。

だから今まで楽曲制作をやってこなかった。




でも、こんなに才能ないんじゃ、先行き厳しいゎ⤵︎ (´-。-`)



部屋の片付けも、なかなか進まなかった。
全てにおいて自信喪失したので、とりあえず寝る。
上手くいけば、明日は明日の風が吹くかもしれない。





かもしれない。

























2015年9月25日金曜日

1年間を振り返って

2015年9月25日



今夜はこの1年間を振り返ってみようと思う。

なぜ、こんな年末でも月末でも週末でもない、なんでもない日に1年間を振り返るのか…
それは、今日がひとつ歳をとる前の日だからだ。





この1年間を一言で表すと『音楽の年』だった。

前の会社でお盆休み(夏季休暇)もお正月休み(冬季休暇)もないまま働いて6年が経ち、これからもここで当たり前のように働くんだろうなぁ…そしてこのままどんどん歳をとっていくのかなぁ…と何となく不安がよぎって、唐突に

そうだ!ライブ行こう!

となったのが昨年10月末。そして来たる11月9日、目指すは札幌。札幌cube gardenでのGalileo Galileiのワンマンファイナルに単身上札(?)したのが事の始まり。そこでガリレオのライブに感銘を受け、気付いたら

そうだ!音楽やろう!
そうだ!曲を作ろう!

となっていたのだ。そして “夢見る札幌” という曲を作り、本当に仕事を辞め、音楽を作り始めたという始まりの1年間でした。


音楽制作については試行錯誤の連続で、今年8月にやっと新しい機材を揃え、自由に制作できる環境が整いました。完成した楽曲はまだ無く、完成間近でストップした曲が1曲と、まだまだ本当に始まったばかり。早く音源を完成させてツアーとか組んでみたいなぁ…まぁでも、始めてからまだ1年経ってないし、まぁまぁ順調か。





ライブは、この1年間にたくさん行った。

2014年は
11月9日 札幌cube garden (Galileo Galilei)
のみだけど、

2015年は
1月11日 札幌COLON (Galileo Galilei)
1月25日 新代田FEVER (Galileo Galilei)
3月8日 渋谷duo MUSIC EXCHANGE (Galileo Galilei)
3月20日 代官山UNIT (FOLKS)
3月26日 新宿LOFT (Galileo Galilei)
5月6日 渋谷CULB QUATTRO (FOLKS)
6月14日 渋谷Lamama (FOLKS)
6月25日 新宿JAM (花泥棒)
7月12日 札幌ビジュアルアーツ (FOLKS) ←この日 THE BOYS & GIRLS を知る。
7月19日 岩見沢グリーンランド (Galileo Galilei・THE BOYS & GIRLS)
7月23日 新宿red cloth (THE BOYS & GIRLS)
8月4日 渋谷Lamama (THE BOYS & GIRLS)
8月19日 下北沢ReG (秋山世威)
8月29日 苫小牧娯楽場パーク (FOLKS)
8月30日 苫小牧娯楽場パーク (THE BOYS & GIRLS)
9月2日 苫小牧ELLCUBE (THE BOYS & GIRLS)
9月20日 鳩ヶ谷 FIND (InbiZiburu)
9月25日 下北沢CLUB QUE (THE BOYS & GIRLS)

思い出すのが大変だった。もしかしたら他に行ったライブがあったかもしれない。
それにしても、7本は北海道ってキチガイじみてるなー。





今日は下北沢CLUB QUEでTHE BOYS & GIRLSを観てきたのよ。ライブはいつも通り楽しくて、対バンの他の2バンドも良くて、渋谷Lamamaの時に見かけた人が今日も何人か居て…

あと会場内の後ろの方にでっかいマンホールがあって、へぇ〜っここ会場内にマンホールあるよーと思ってその上で本棚のモヨコ聴いてたら(そこにスペースがあった、と言うより、そこにしかスペースが無かった)途中からやけにマンホールが響くゎ〜、前に入り込んできた人、やけに盛り上がってるなぁ…とぼんやり思ってたんだけど、ん?なんかこの動き見覚えある……この動き、この後ろ姿……このTシャツ……赤いコンバース……あーーーーーっ! 突然気付いたのだ! なんとTHE BOYS & GIRLSのシンゴ君だった! いつからここで観ていたのだろう。

シンゴ君がステージを観てる姿は幾度となく見ているけど、いつもその姿を見る度に、本当に音楽が好きなんだなぁ…って思う。本当に音楽が好きな人の音楽だから、いろんな世代の人々がTHE BOYS & GIRLSを聴きに来るし応援している。そして関係ないけど、シンゴ君は歌詞を間違えない人だなぁといつも感心する。自分の心の底からのメッセージなんだろうね、歌が。





さてさて、貯金もそろそろ無くなってきてしまったので、また仕事を始めるとしよう。今度は接客とか良いなと思っているのだ! なぜなら私は誰にでも平等に愛想が良いからだ!


友達が花屋さんやってて、かなりの力仕事だし結構キツイよって言ってたけど…そんでもって最近できた友達も花屋さんで働いてて、話聞いてたら花屋さんやりたくなった。とりあえず応募してみよー。






本棚のモヨコ、Doors って曲が良かったなぁ。東京でも頑張って‼︎










2015年9月24日木曜日

野口氏のこと

2015年9月24日



 F (((((;゚Д゚))))) O (((((;゚Д゚))))) L (((((;゚Д゚))))) K (((((;゚Д゚))))) S




今月はFOLKSに関してなまらショッキングなニュースが2件もありました。。。




ひとつ目は、ベースの野口氏の活動休止宣言である。




野口氏は、ライブでいつもすごい楽しそうにベースを弾いてた。

野口氏は、7/12のライブに行った時、私が苫小牧に合宿免許を取りに来ている話をしたら「あぁ、沼ノ端にあるところだよね」って苫小牧ドライビングスクールの事を知ってた。

野口氏は、8/29活性の火の日、駅前で挨拶した時「こんにちは〜」と言ってくれた。

野口氏とだけ、私は握手できてない…FOLKSのメンバーで。

野口氏の声を、私はラジオで聴いた事がない…。



残念。

でも、他にやりたい事があるからだって言うから、
その、他にやりたい事を精一杯頑張ってほしい。

そしてまた、その楽しそうにベースを弾く姿を、いつの日かまた見せてほしい。




……ところで、今後FOLKSは誰がベース弾くのだろう…?




そしてふたつ目。FOLKSのラジオ番組『Northern Laboratory』が9月いっぱいをもって終了してしまうというのだ。なんてこった ( ;´Д`;)  8月からラヂコでやっと聴けるようになったというのに。




せっかくライブにガンガン行って、FOLKSを身近に感じていたのにっ ( ;´Д`;)




でも音楽は、FOLKSの音楽は、ここにあるから〜 ( ;´Д`;)













 F (((((;゚Д゚))))) O (((((;゚Д゚))))) L (((((;゚Д゚))))) K (((((;゚Д゚))))) S









2015年9月20日日曜日

鳩ヶ谷の夕暮れ

2015年9月20日



神奈川県から東京都を飛び越えて埼玉県にやって来た。
InbiZiburuという苫小牧のバンドが鳩ヶ谷に来ているからだ。


バンドのライブを観に、札幌に行った事はあっても、埼玉県に来た事はいまだかつて無い。埼玉県に行くバンドならば、たいてい東京都も回っているから東京で事足りるからだ。


でも、まずはお金の心配に関してはチケット代まぁまぁ安め?だったし、往復の交通費もチケット代の2倍にもならなかったしでクリア。次に時間の心配も、とりあえず夜10時半に会場を出たとしてもその日のうちに家に家に帰れる事がわかりクリア。埼玉って意外に近いのね。


人気グループのライブコンサートで「東京公演取れなかったから埼玉アリーナまで行ってくる! 埼玉チケット取れてマジラッキー!」っていう友人がいて、随分と熱心な!と思ったものだけど、さほど遠くはなかったのだな…。









埼玉高速鉄道というのが地下を通ってる。私が乗った電車は鳩ヶ谷駅止まりで、途中ウトウトしてたけど多分一度も地上に出てないと思う。鳩ヶ谷駅も地下の駅だった。


地上に上がって行くと、天井にぽっこりドームがくっついていて、螺旋階段に子供達がいた。面白い駅だ。










ドームのある駅舎、地上から見るとこんな感じ。










まだ開演前だったし、めちゃくちゃお腹が空いていたので、駅前の やまとや というお店でサンマの塩焼き定食を食べた。それが、激うま。サンマは新鮮さが感じられたし、茶碗蒸し美味し。それから味噌汁がすっごく美味しくて、出汁がきいてて、イワシ?がまる1匹入ってたゎ。美味しいワケだゎ。御飯も、漬物も、モヤシの和え物も、大根おろしも、カボスも全部美味しかった。


サンマ食べるの超久しぶり。今のマンションに引っ越してから、まずガスコンロが据付で魚焼きが付いてないから魚買わないし、焼き魚食べたの7月の苫小牧以来かも。仕事を辞めてからは、職場の食堂でサンマ定食を食べる事もなくなってしまっていた。










“やまとや” という名前だけに、うちの大和市に移転してほしい!




そして会場である鳩ヶ谷FINDへ。苫小牧ELLCUBEと同じく、地上にステージがあるタイプのライブハウスだった。東京は地下型多いけどね。着いた時やってたバンドのギターが、ストラトボディなんだけど、ピックアップがリアに1個しか付いてなくて、ノブも1個で、だからボリュームだけでトーンは付いていないんだろうな…って思ってスゴイ気になった。“うちは究極の味に調節してるんで、麺の硬さやスープの味の調整は承ってません” っていうラーメン屋みたいに “この楽器は最も美しい音が出るところで調整してありますから、余計なものは一切付いていません” ってギターなのかなぁ…カッコイイ!!




で、暗さに目が慣れてきたら、InbiZiburuのメンバーも客席(席は無いけど)からステージを観ているのがわかった。大きな会場になると一般の客席とは別に「関係者席」が設けられていたり、楽屋から画面で観てたりして、出演者と一般客が完全に分けられている事が多いけれど、小さめなライブハウスではみんな一緒に観ていてなんか良いよね…って小さめなライブハウスに行く度に思う。1ステージ終わって転換になったら、ベースの中野氏が私に気付いて「どーもっす! 遠いところありがとうございます!」と声をかけてくれた。











InbiZiburuのベースの中野氏と出会ったのは、今年の8月25日、私が活性の火のボランティアで苫小牧入りした日だった。苫小牧駅前で実行委員のメンバーに迎えられ、荷物を置いた後すぐさま駒澤大学にテントを借りに行く車に乗った。助手席に私が乗り、ELLCUBEから誰かを乗せて、約束の時間ギリギリだという事ですぐさま車は駒澤大学への道を急いだ。コンビニに寄る時間もない!という切迫した感じで、後ろに乗った人が誰なのかも知らされぬまましばらく走ったところでやっと、後ろに乗っている人がELLCUBEスタッフの中野さんという人だと教えられた。中野氏はその時に「仕事で東京には何度も行った事ありますけど、住みたいとは思わないっすね、だって空気がドブの臭いするんすよ」と言っていた。東京の空気がドブ⁈ そんな臭くないだろ‼︎ とその時私は衝撃を受けたが、話を聞いているうちに、渋谷とかのライブハウス周辺の飲食街やホテル街のあの細い路地の事を言っているのだろう事がわかってきた。確かに、都会のライブハウス周辺の路地は臭いかも。あそこは遊びに行くところで、日常的に暮らす場所ではないよね…笑。


で、彼は活性の火の準備にあたっての中心人物で、毎日一緒に作業をする中で、遂にInbiZiburuというバンドのメンバーである事を知ったのである。InbiZiburuの音源は、私がボランティアスタッフをするきっかけとなったボイガルのラジオ番組『ボロドンバーン』で活性の火の事が紹介された際に “苫小牧地元で精力的に活動している注目のバンド” として紹介されていたのである。そのバンドのメンバーとごくごく普通に一緒に作業していたなんて、その事を知った時には本当にびっくりしたものだよ…笑。


しかし活性の火の時には、残念な事に彼らのステージを観る事ができなかったのだ。

苫小牧から帰る日に、中野氏にその事を告げると「今月中旬に俺ら埼玉のライブハウス行くんで、良かったら観に来て下さいよ」と言う話になって「東京都を飛び越えて埼玉⁉︎ いや遠いでしょ…笑」って答えたんだけど、遂に本当に来てしまったよ。






彼らは今日、苫小牧を発って飛行機で来たらしい。そして明朝2本目くらいの飛行機で苫小牧にトンボ帰りするらしかった。勿論今夜はオールらしかった。さすがバンドマンはタフだなぁ! 関西空港のベンチ泊だった時の話も聞いた。男は良いなぁ! 男性のみのバンドは、そういうとこ楽で良いよな。「関空泊は一度経験したほうが良いですよ」と中野氏が笑った。「女性は危ないだろ…笑」って彼らの友達が言って、でも私も大学生の頃なら2晩くらい寝なくても全然いけたものだったよ…懐。






そして、肝心な彼らのステージだけど格好良かった。出演バンドの中で一番良かったな。彼らはジャンル的にはラウドロックとかハードコア寄りで、私は最近は歳のせいか(⁉︎)あまりそのての音楽を聴かないんだけど、彼らの演奏はとても良かったよ。彼ら北海道の様々なライブハウス廻ってライブしてるみたいだし、活性の火でもメインステージのトリを務めるくらい演奏技術力あるもんね。と言うか、ハードコアとかって技術力ないとただの雑音になってしまうから音楽的に聴けたもんじゃないと私は思う。そんな私もハードコアバンドに所属していた若かりし頃があったのだよ…笑。





でCD買って、サインの話で盛り上がって帰って来たんだけど、なんと帰りの電車の中で寝てもいなかったのに苫小牧での事、いろいろ思い出して懐かしんでいたら乗り過ごしてしまったのだ((((;゚Д゚))))

しばらくしてからやっとおかしいと気付いて、反射的に「あれっ!」と叫んで両隣に座ってた人を驚かせてしまった…苦。

しかしながらさすがは東京、迂回ルートでなんとか終電でめでたく最寄駅まで辿り着けた!

本当に良かった…(^ ^;)











たとえ数日間でも行動を共にした仲間のステージって、何やら大変感慨深いものがある。





FINDを出る時、中野氏とボーカルの中原氏が「来年も(活性の火の時には苫小牧に)また来て下さい。スタッフでも、そうじゃなくても良いんで是非!」と手を振ってくれた。中原氏は活性の火の当日のまとめ役が本当に適任だったと思う。Tシャツに無線機の姿が鮮明に思い出される。もっとも彼がInbiZiburuのボーカルだという事は8/29当日まで知らなかったのだけれど。





InbiZiburuの皆さま、これからもずっとお元気で。また会う日まで〜。










2015年9月12日土曜日

サイゼリヤ会議

2015年9月12日



サイゼリヤで編集会議をした。私が参加させてもらっているショートムービー制作集団の作戦会議。

集団” と言ったけれどトリオなんだ。メンバーは3人。



「車で向かってるんで駅に着いたら電話します」とLINEが来て、電話が来たので駅に行ったら、原画担当の竹内氏が “男はつらいよ” の寅さんみたいな風貌( ※ あくまで個人的な感想です)で、ひとりぽつんと立っていた。



「山口さんは?」と聞いたら「今、車で走ってる。じゃぁ行きましょう」と言うので、あぁまた別々に来たのか…でも駅で待たずして一体何処へ⁇ と私は状況が飲み込めないままついて行く。「苫小牧でのボランティアお疲れさまです」「あぁー、いやー、なかなかハードだったんですよ、それが!」とか話しながら駅の中を通って、反対側の出口に出たところでアニメーション担当の山口氏に電話。「あぁ、そうなの、了解です、じゃぁ前回と同じ出口にいます、はい」と話しているので、私はますますわからなくなった。


私「竹内さんは電車で来たんですか?」
竹「いぃや、車で」
私「あぁ、別々の車で来たんですか?」
竹「うぅん、山口君の車に乗せてもらって来たよ」
私「あ、山口さんは今コンビニとかに寄ってるとか?」
竹「いや、もうすぐ来ると思うよ。近く走ってるって言ってたから」
私「…⁇ じゃぁ竹内さんはどうしてここにいるんですか?」
竹「さっきここで降りたの」
私「…⁇⁇ じゃぁ待ち合わせこっちの出口のほうが良かったですよね…私てっきり車停めて待つのかと思ったんで、それなら反対側の出口のほうが停めやすいからって意味でそう言ったんですよー」
竹「うんうん、それはわかってたんだけど、反対側の出口へ行く道がわからなかったのさ」
私「そーゆー事かぁ! そこの踏切渡ればすぐだったんだけどなぁ…」


確かに、ストレンジャーだったらすぐ近くの踏切にもなかなか気付けないものだ。
説明不足ですみませんでしたm(_ _)m




で、駅から100mもないところにあるサイゼリヤまで車で移動…笑。
1分もしないうちに目的地着。これ、サイゼリヤ集合で良かったんじゃない…笑?
まぁ山口氏の珍しい赤い車がなまらカッコ良くて、その助手席に乗れたので満足です。あぁ私もこんあ車を運転してみたい!




サイゼリヤでピザとドリンクバーで結局3時間くらい話し合って、現状で原画に色々試行錯誤を重ねているので完成は来年1月…遅くとも2月前に公開したい…って話で、私は今回この作品の主題歌をほぼ完成させて持って行ったんだけど “この曲はあと4ヶ月、日の目を見ないのか…” って思うと、なんだかちょっと悲しくなった。でも、せっかくこの作品用に作ったんだから、主題歌だけ先行公開はないよなぁ…。まぁ次の曲を早く完成させて、そっちを先に公開しよう……うん。




そして、またほんのちょっとの距離を車に乗せてもらって、次の作品に登場させようとしているある者に対面してもらって「それじゃ次回の会議は来月中旬で!」と言って別れた。




主題歌について「これは楽しくなってきた!」と2人に喜んでもらえたようで良かったよ。









2015年9月9日水曜日

空白

2015年9月9日



雨上がりの空の下、心の中で泣いた。




9月6日が祖父の命日なので、借りていたスーツケースを返しがてら、お土産も渡しがてら、実家に滞在していたのだが、ちょっと長い期間居過ぎたようだ。些細な事で母と口論になったら、衝撃的な事を言われた。

私の思考は停止した。今は何も考えられない。






確か3年前、好きだった人と駆け落ち寸前になっていて、きっとこれでは仕事も辞めざるを得なくなるだろうし、これからどうやって生活していこうか……と途方に暮れるもどうにもならなくて、当時実家暮らしだったため、両親が「それなら一度家に連れて来い」という事になった。で、彼の仕事の都合とかでたまたま家に来たのが9月6日だった。そう、3年前の祖父の命日。


今に思うと彼は自由で、そこまで未来の事を考えていなかったんだろうし、私と結婚するとかも全然考えてなかったんだと思う。ごく普通に友人の家に来るような感じで実家に来たので、とにかく両親は仰天してしまった。


で、ただ普通に夕飯を家で食べて帰ったので、彼の帰宅後、そんな男に娘をやれない、と母が気が狂ったようになった。もう絶望のどん底って感じだった。それで父が見兼ねて、あの男と一緒になるのなら、もう親は捨てろ。あの男を取るか、家族を取るか、どっちかにしろ。と二者択一を迫られたので、駆け落ち寸前の心境だもの、私は彼を取ると即答したのだ。そんな二者択一で、家族を取るって言うと思ったのか、そっちのほうが不思議だ。それで私は家を出た。彼の家には長く泊めてもらえなかったし、仕事は結局続けたし、ちょうど運行管理者の試験を受ける前だったのと、今後の生活を考えて家賃の上限が低かったのでなかなか良い物件が見つからず、実際に家を出たのは半年後になってしまったが、とにかくそれがきっかけで私は実家を出た。


それから一度、母と彼が電話で怒鳴り合った事があった。私はその時彼と一緒に居たのだが、母の声は電話口から大きく流れ出て尋常ではなかった。彼も普段は穏やかな人だったけれど、この時は人が変わったようになって怒り狂い、母を罵倒し倒した。なんでこんな日が来てしまったんだろうと、なんであんな日が来てしまったんだろうと今思い出しても本当に悲しいし、あの時ばかりは母も彼も許せないと思ったし、実際今でも許せていないのかもしれない。翌日、彼には「俺について来ないほうが良いんじゃないのか、悪いけどあの人とは二度と関わりたくない」と言われて死ぬ程辛かったし、時が経って、彼とさよならして、更に時が経ってもう思い出す事もそんなにないけど、その話を今日、さっき、母がぶり返してきたのが信じられない。






母はまだあれから立ち直っていないと。
心も身体も私とあの男にズタズタにされたと。以前の自分に戻れていないと。






実の父親(私にとっては母方の祖父)の命日にあんな男を実家に入れた事を後悔している、と今までに何度も聞いた。でももうそれは過ぎた事で、今更どうしようもない。


結局私は、母の大嫌いなあの男とは結婚しなかったし、母にとってはそれで良かったじゃないか、母に言われたから別れたわけではないけれど、自分としてはこれだけははっきり言っておきたい、母が悲しむから別れたわけではないけれど、母は自分の気持ちが受け入れられなかった事をひどく悲しんでいるようだ。どうしたら気持ちが伝わるのか、と私に言われても、伝わっても私には母が喜ぶように応えられない。申し訳ないけれど、私にだって気持ちがある。もう会う事はないだろうけど、彼の事を全面的に嫌いになったわけじゃない。


しばらくここには来ないでほしい、と言われたので、もう二度と来ないよ、と言って家を出ようとした時、おにゃさまが寄ってきた。おにゃさまは実家の15歳の猫で、本名は沢雄と言う。抱かれるのが嫌いで、触ろうとするとすぐ逃げてしまうのに、私が座ると今日は膝に乗ってきた。






あの時もそうだった。私が荷物をまとめて家を出る時、そうあれはまだ住む場所も決まってなくてとりあえず彼の所から仕事に通おうと思って徹夜で荷物を詰めた朝、じゃぁねっておにゃさまに挨拶したら、おにゃさまが突然立ち上がって私の足元まで来て、足に両手を掛けて私の顔をじっと見つめて鳴いた。まるで「行かないで!」と言っているようで、一気に涙が溢れ出たけれど、私は「ありがとう、ごめんね、元気でね」と言って行くしかなかった。その後、実家に戻ってくる度におにゃさまに喋りかけてみるけれど、あの時のような声で何か言ってくれた事はそれから一度もなかった。



そんな事があった事さえもう忘れかけていた。おにゃさまを膝に乗せていたら、それまで強かった雨が突然上がった。両親は、今雨が上がっているうちに帰れと私を急かした。父が「帰れなくなるから膝から下りてやんな」と沢雄にまで言うので、あんまりにもうるさいので「ありがとう、元気でね」と言っておにゃさまを下ろした。二度と来ない事はない。でも、もう15歳だから、いつもこれが最後でも悔いが残らないように……。






命の恩猫だ。ずっとそう思っていた。
最近、他に夢中になる事や、興味のある事がたくさんあって、忘れかけていたけれど、命の恩猫であった事に変わりはないし、今もそうだ。これからもずっとそうだ。












台風だったのに、本当に晴れてしまった。
まだ元気に生きてほしい!
私も今を精一杯生きるから。












心にぽっかりと空いてしまった穴は、そう簡単に閉じるわけないけど、

気付いたら虹が出ていた。

これからどうやって生きていくのか、私にはわからない。







2015年9月2日水曜日

1丁目のプリンス

2015年9月2日 後半



時刻は夕方4時半。ロッテリアで軽食をとった。朝どっかり食べたから今までもったけど、私達は昼ご飯を食べていない。空きっ腹に食べたハンバーガーは大変美味しかった。

食べながら、藤君の携帯が鳴った。苫小牧の防災警報のメールだった。苫小牧のいろんな地区に大雨警報(?)が発令されたようだった。“苫小牧にこんな日は滅多にない…”  藤君や鈴木先生が言っていた言葉がいよいよ現実味を帯びてくる。今日のライブは時間通り行われるのだろうか。まぁでも多少時間が押したとしても大丈夫だ、私は苫小牧に滞在しているので、何時に終わっても徒歩で帰れる。







開演の6時半までまだ1時間あったので、私達はカラオケに行った。先日、活性の火実行委員のコと一緒に来たカラオケボックス。北海道のカラオケボックスは人数2人でも広い部屋に通されて、これが普通だと言う。贅沢ね。関東じゃ2人では普通あそこの1/3以下のスペースで、あれはパーティールームだ。関東と言っても東京と神奈川限定かもしれないが。しかも料金すんごい安いの。関東で “会員30分80円1ドリンクオーダー別” ならまずまずって感じだけど、それ以下でした、さすが北海道!




カラオケボックスから出ると、なんと雨は上がっていた。水溜まりだけに気を付けて ELLCUBE へ向かう。扉を開けると受付に原生さん(活性の火実行委員長)がいた。ドリンクカウンターにみほこさんもいた。昨日までまるで『メンテナンス中』だった空間(活性の火期間中、スタッフの休憩所&物品庫と化していた)が、素敵なロビーに変わっていた。





    ※ 撮影:藤君





藤君を誘った時に「初ボイガルだからチケット代おごるよ!」と言ったら「おごってもらうなど申し訳ない」と言われたんだけど、結局ロッテリアで出してもらっちゃったから、やっぱり私が2人分払った。浮いたお金でボイガルのCD買ってあげて!






開演時間をちょっぴり過ぎたけど、まだ始まらなかったので藤君に傘をあずけてトイレに行ったら、その瞬間にボイガルSEが流れ出した。ぎゃぁ。タイミング悪っ! 私は急いで飛び出て前のほうに走っていった。藤君はサイドで見ていた。THE BOYS & GIRLS は野外の大きなステージに立っても堂々と立派な感じで感動するけれど、ライブハウスのこぢんまりしたステージに立つととても大きく見えて格好良いんだ。本当にライブハウスが似合うバンドだ。これからどんどん売れて人気が出てしまっても、たまには各地のライブハウス廻って欲しいなぁ…と思ってしまう。






THE BOYS & GIRLS の他に4バンド出演したのだけれど、どのバンドもやはりライブハウスのステージがとても似合うバンドだった。どのバンドもメンバー全員が輝いていて、演奏もすごく良くて、本当に素晴らしいイベントだった。ボイガル以外のバンドは、ほとんど曲も知らない状態で行ったにもかかわらずとても楽しめた。どのバンドのCDも欲しくなったが、あいにくもうそんなに現金を持ち合わせていなかったので、彼らのレコ発ツアーのためにシンゴさんが他のバンドを集めたっていう、今回のイベントの基となった「人性補欠」という鹿児島のバンドのニューアルバムを買った。






そうそう、バンド転換の時間に、お客さんに声掛けられたの。活性の火でマイクのコード捌いてたスタッフのかたですよね?って。Twitterに写真あがってましたよね、あれ良い写真でした、ボランティアスタッフお疲れさまでした、ありがとうございました…って言って下さって本当に本当に嬉しかった。だって彼女のために直接何かしてあげた訳でもなく、これと言って役に立てた訳でもないのに、たまたまボイガルファンのかたが撮って下さった写真に写ってたってだけなのに、スタッフを代表してお礼言われるなんて運良すぎでしょ! 




あと、終演後にシンゴさんにも「活性の火スタッフもお疲れさまでした、お世話になりました、ありがとうございました」と声掛けていただいた。


真面目に感無量でした。こんな夜は二度と来ないかも。
ろくに返事もできなかった私をどうぞお許し下さい…(i_i)




それから、今日で本当に最後だから、お世話になった方々に挨拶して回って…いつだったかに読んだ本に “一度握手した人とは距離が離れても基本的に一生繋がっていられる、すなわちテレパシーも有り得る” みたいな内容が書かれていて、私はバカみたいにそれを信じているんだけど…笑…だからとにかく握手しまくった。

誰と握手して、誰と握手しなかったか憶えていない。この滞在中に出逢ったみんなにまた必ず会えますように…と祈りながらみんなとお別れした。




あと、藤君がボイガルのCDを買ってメンバーにサインをもらいに行った時、シンゴさんがサインした後、藤君の肩を叩いてはっきりと「ありがとう、また来て!」と言ったのが傍から見ていてとても嬉しかったんだよね。その時藤君結構酔っ払ってたけど憶えているだろうか…(・_・;)









さてさて、すごい天気だったけど良い一日だったなぁ…と余韻に浸っていると「今日、何時まで大丈夫ですか? 僕は何時でも大丈夫です」と藤君に言われた。酔った勢いで、このまま帰るつもりはないらしい…!! 疲れていたが、まぁ帰ってしまえば藤君とはしばらく会えない訳だし、明日はもう帰るだけだから、風呂さえ入れればこのままオールしても良いかな…とも思った。「とりあえず何か食べたいよね? お腹空かない?」と聞いたら「カラオケ行きましょう♪  持込OKですから、コンビニで夕飯買ってカラオケで食べましょう♪」となり、そういう事に決定した。一日は長い!



藤君は民謡や演歌がとても上手だった。北島三郎の曲とか、妙に味のある歌い方をして、まさか20代前半の若者が歌っているなんて誰も想像しないだろう。これならNHKのど自慢で確実に鐘が鳴るねって褒めた。いや、お世辞ではなく本当に上手いんだゎ。そうこうしているうちに藤君は「誰も知らない曲入れても良いですか? 歌えないけど気にしないで下さい!」と意気込んで、すっごいマイナーな曲らしき曲を入れた。ボイスチェンジなる機能を駆使して、なんだかひとりデュエットっぽいぞって思ったら、次の曲ではマイクを置いて踊り出した! なんだかその曲には振付がされているらしい。藤君曰く、とある日にオタクがみんなで集まって踊るそうだ。藤君はとにかく一生懸命に踊っていて楽しそうだ。確かにみんなで集まって踊ったら、私一人の前で踊るよりも格段に楽しいだろうな。藤君はお寺で2年間修行したというだけあって落ち着いていて、精神論とか説くし、植物と会話し、政治の話もできて、待ち合わせの時間にも遅れないから、私より全然大人な感じがしていたけど、この時ばかりは《あぁ〜やっぱり20代前半の平凡な若者だったゎ〜》とついついニヤけてしまった。








で、ありがとう、また会おうねって別れた。神奈川、県行ってみたいですって藤君は言ってた。

神奈川に来たら、横浜ではなく江ノ島を案内しよう、と私は言った。

私は横浜にはあまり行かない。お店もころころ変わるし、見所をあまり良く知らないのだ。かと言って江ノ島を知り尽くしている訳でもないが、高校生まで藤沢市の学校に通っていたため江ノ島の地には多少思い入れがある。小学1年生の初めての遠足も江ノ島だったし、高校3年生の卒業アルバムのクラス集合写真も江ノ島で撮った。

良いですね〜と藤君が言った。








藤君を乗せたタクシーを見届けてふと気付いた。

そう言えば肝心の藤君と握手してないぞ…笑。あかん! テレパシーが通じないじゃん!








帰り道、日付変わって午前1時回っていたが ELLCUBEの前を通ったらまだ灯りが点いていて、中で人が動いていた。立ち寄って最後の最後に記念撮影。ELLCUBEのスタッフの皆さんと。カメラマンの女の子、活性の火で一緒に作業したんだ! 撮ってくれてどうもありがとう♡









最高の夏をありがとう!
また来るよ、苫小牧。










夏井先生のこと

2015年9月2日 中盤②



合宿担当の岩井さんと話をしたら、活性の火の当日、ステイ生を連れて娯楽場ステージの近くまで来ていたらしい。で、会場のどこかに私が居るんだろうな、と思ってくれたそうだ。やはり葉書を出しておいて良かった。そう言ってもらえるだけでなんだか嬉しい。




最後に夏井先生を呼んでもらった。夏井先生とは、教習所に入校した日の一番最初の実車の授業で出会った。前日3時間しか寝ていなかった上、行きの飛行機で大事にしていたハサミを没収されたので、私は疲れていて機嫌が悪かった。ゲームセンターのレーシングゲーム機のようなヤツに最初に乗って、機械の説明に従ってレバーを操作しようとしたら、全く動かない。教官!と思って振り返ったら、教室には誰もいない。ふざけんな…笑。


機械の説明はどんどん先に進んでしまうし、レバーは全く動かないし、いよいよ焦ってきて両足でペダルを目一杯踏みながら動かそうとするも全然動かず、立ち上がってバタバタやっていたら、やっと夏井先生が戻って来た。事情を話して説明を戻してもらって、動かないから機械を替わって、違う機械でも動かなくて「じゃぁ僕ここ押さえてますから」と、とうとう手動で動かしたんだけど、その後おかしいぞって事で夏井先生が座って動かしてみたら、難なく動いたみたいなのね。で「動かなかったのは多分足の踏み方が弱かったんだと思います」と私に言うので、私は反論した。「そんな事絶対にないです。両足で踏みながら動かしたのに動きませんでしたから!」


「そうですか…」と夏井先生は少し納得いかなそうな顔で、それ以上突っ込まなかった。全く今日はツイテナイ。その時はそう思った。


次の時間は、実際の車を運転した。左端を走るという事で、まだもっと寄れます、もっと、もっと…と夏井先生が言うので、マジか? まだ大丈夫なのか? と夏井先生の顔色を伺いながらも、何も言われないので思いっきり左端に寄ったら、ズルリッと路肩に擦った。え"ーーーっ、何も言わなかったじゃん(´д`lll)と思ったら、走行中に助手席のドアをパタッと開けて「ほら、このくらい近づくと路肩はここです」と私に言った。そんな教え方もあるのか、と思ったけれど、残念ながら距離感覚に特別疎い私は、どのくらい近づいて路肩に擦ったかをこの時把握できなかったのである。なんか、こんな事書いていると、夏井先生がすごい可哀想になる(;_;)






次の日、学科の授業が夏井先生で、トラックの絵を描いたのね、ホワイトボードにね。で、話の流れからいくと、その絵がトラックだって事は確実だったんだけど、ニコニコして「これなんに見えますか?」って言うから、私は正直にこう答えたんだ。




    ※ 再現です。





「本州に見えます」
「……ぇっ……⁉︎」


だってさ、後輪(九州)前輪(四国)よりちょっぴり大きいんだよ。バッチリじゃん。


「えっ、何⁉︎ ホンシュウ?」と、かなり予想外の回答だったようで、どうする…これどう持ってくよ⁉︎ って夏井先生の心の声が聞こえた気がして「はい、トラックです」って答え直してしまった。


「そうですよねぇ、トラックに見えますよねぇ、良かった〜。そんなに絵下手かなって自信なくすところだった……どうしたんですか、ボケてもらっちゃって……あーびっくりした…」


いや、トラックに見えませんて…笑!!!


それからと言うもの、授業中に当てられなくなりました。ごめんなさい、夏井先生…m(_ _)m






こんな話ばっか書いてると、私って最低な生徒だよな。すっごい扱いづらそう。
でもね、夏井先生の授業すっごい面白かったし楽しかった。救命講習も担当が夏井先生だったんだよ。AEDの使い方の失敗例(?)とかさ、本当に笑ったよなぁ。夏井先生、本当に良い先生だよ。最初の日の授業終わりに、助手席からハンドル回しての車庫入れが神業だったからさ、私感激して「やっぱり運転が好きだから教官になったんですか?」って聞いたの。そしたら「運転は好きだけど、もともと教職には就きたかったんです」って言ってて「へぇ〜。でも向いてると思います、この仕事」って言って「ありがとうございます」って言われたんだけど、本当に心からそう思って言った。尊敬してます。だからっておかしいけど、嫌わないでー(;_;)





そんな夏井先生と、路上に出る事はなかったんだけど、一度くらい路上も走りたかったな。ちなみに藤君の担当教官が夏井先生で、どんな感じ?って聞いたら、無言…って言ってた。えっ、無言?






で、回想が長くなってしまった! 夏井先生を呼んでもらったんだけど、ちょうどその時次の授業が始まる2分前の放送が入って、まぁ私なんかはその放送を聞いてから慌ててトイレ行ったりして鈴木先生を待たせたりしてたんだけど(ホント自分最低な生徒だな)、
夏「あぁ〜お久しぶりです、2ヶ月前でしたっけ?」
私「1ヶ月前ですねー」
夏「そうでしたっけ、お元気そうですね〜。あんまりお話できなくてごめんなさい…また遊びに来て下さい」
私「あっ、はい、また来ます」
と本当に10秒程話して、次の授業に行ってしまわれた。
夏井先生ーーーっε=ε=(ノ´Д`)ノ・゜・。






ちなみに夏井先生は私よりも5コ下で、ホント未来ある若者って感じだ。ボイガルで言う“あすなろ”ね。これからのご活躍を期待しております。いや、もう既に良い教師だけれど、もっともっと素晴らしい師匠に絶対なるよ、彼は。ToDSの看板教員になる事間違いなし。またきっといつか会いに行くので、それまで沼ノ端自動車学校に在籍していてほしいな。






皆さんが帰りはスクールバスで送ってくれるように手配して下さり、私達は苫小牧駅まで無事に戻れたのでした。感謝。この時既にJRは運転を見合わせていたのかな? 本当に助かりました、有り難うございます。(後半に続く)













鈴木先生のこと

2015年9月2日 中盤①



凄まじく土砂降りの中、苫小牧ドライビングスクール(通称、沼ノ端自動車学校)に到着した。

タクシーの支払いをして「降りる準備できたら言ってね、ドア開けるから」と運転手さんに言われ財布をゴソゴソカバンに入れていると、後ろから職員らしき人がゆっくり歩いて来る。黒いカッパを着て傘はさしていない。雨の中一体何の作業だろう。慌てる様子もない。土砂降りの中、エントランスにタクシーが停まっている事も気に留めていないようである。タクシーの横を通り過ぎる時、ちらっと見えた横顔が鈴木先生に似ていた。が、おそらく鈴木先生ではないだろう。






入口を入ると、受付けの女性陣がいつもの笑顔で迎えてくれた。本当に彼女達の笑顔は素敵だから苫小牧ドライビングスクールは良い学校だと思う。で、少し経って私の顔を認識してやっとあれっ⁉︎てなった。最初の言葉が思い付かないので「お久しぶりです」と私は言ったが、実際あんまりお久しぶりではない。「昨日朝礼でお手紙紹介したんですよ」と言われた。苫小牧入りしてから一応葉書を出しておいたのだ。



適当な言葉が思い付かなくて「懐かしいな〜」と口に出してみたけれど、実際のところ懐かしい感じとは少し違う。つい昨日までここの椅子に座って配車を待っていたような気もするし、そんな日々を送ったのは5ヶ月前くらいの出来事で、なんと言うか、卒業した記憶だけが抜け落ちてしまったような奇妙な感覚さえした。確かに懐かしいんだけれど、今まで見た事ない景色だった。台風の日にやっとの事で辿り着いた小学校のような空気感があった。あぁなんと表現すれば良いのだろう。このまま2階の教室に移動して、学科の授業受けに行こう!って夏井先生、元気かなぁ。






受付で坪井さんに、卒業した後に泊まった旅館の話とか、今回泊まっている自治会館の話とかして、他の受付の人達も私の話をなんとなく聞いてくれているようで、調子に乗って話を続けているうちに、校内アナウンスで呼び出された鈴木先生が“ゾンビ感”を漂わせながら現れた。受付の女性陣は「あっ、ゾンビみたいなのが来ましたよ!」と私に言ったが、そこにいたのは先程タクシーの横を通り過ぎていった鈴木先生似の職員らしき男性だった。カッパを頭から被り、雨水が滴り落ちていたが、よく見たら鈴木先生だった。「こんな雨の日に呼び出すなんて何事ですか。お久しぶりです…いやお久しぶりでもないですねぇ」と言われた。こんな雨の日に…は絶対言われると思っていたのでニヤけてしまう。ただ、登場の仕方は想定外だったので、そちらこそ何事ですか、全く…笑。



鈴木先生とは、私が入校して2日目に初めて出会った。最初会った時、すごい対応がテキパキしていて、超失礼なんだけど、うわーなんだか私とは合わなさそうだなーと感じた。それがびっくり、なんまら良い先生だったのだ。それは鈴木先生がやがて私の性格を察して、私に合わせた教え方をしてくれたからだという事、よくわかっている。さすがプロフェッショナルだと思うけれど、一番そう思ったのは、教習車の運転席のシートを助手席から一瞬で下げる早技で、それを披露した後のさり気なさ。あたかも、何もなかったのに座席だけ動いたよ的な態度で、一度「せっかく合わせたのに動かされた」と言ったら呆気なく「何言ってるんですか、合わせるのが練習です」と言われた。鈴木先生は私とは正反対のような性格で、話を聞いているととても面白い。道路や交通や運転に関する色々な話を沢山してくれたのは本当に有り難かった。半分くらいは忘れてしまったけど、本当に為になった。イオンモールの横を走った時「あっ、タワレコがある!」と言ったら「ちょっとー、苫小牧をバカにしないで下さいよ!」と言われた事は良く憶えている。その話をこないだ活性の火のスタッフ達に話したら「いやいや、タワレコ札幌以外は北海道、苫小牧にしかないからねー、おかしいよねー、旭川も撤退したからねー、なんで苫小牧に残ってるのか不思議だよー、苫小牧は中心街さびれてるし、タワレコが全然似合わない街だよー」と言われた。なんだか鈴木先生を褒めているのかどうかわからなくなってきたけど、とにかく良い先生だという事を伝えたかったのだ。そして鈴木先生には、これからも沼ノ端自動車学校で良きドライバーを育て続けてほしいなと思う。なんか先生に対して上から目線の言い方で申し訳ないと思うけれど、実際のところ歳は1コ下なので仕方がない。






鈴木先生には、こないだ二俣川で学科試験を受ける前に、わからない問題について沢山質問したのだが「裏を読みすぎないほうが良いですよ」の一言で終わってしまった。一言で片付けるなんてとんでもない教官だ。結果、疑問は解消されていない。その話をしたら「あれはあえて答えないほうが良いと思ったから無視したんです」と言った。実に上手い回答だけど、正直面倒だったんでしょ、いちいち答えるの。「なんだったっけ、質問。でも一番これかー(呆)って思ったのはね、危険物のヤツ」その質問とは、こうだ。

“車両に危険物を積んでいる時、表示板等で周囲に知らせると共に、駐車する際には危険な場所を避け、危険物を見張る必要がある”と教科書に書いてあるが、例えば高速に乗っていて、一人だったらPAでトイレ行ったりSAで食事したりできないって事ですか? 放置しなければ、そのくらいは許されるんですか?

鈴「これにどう答えろって言うんですか、無理ですよ」
私「いやいや、許されるのか、我慢しなきゃいけないのか、危険物運搬には最低2人必要なのか…」
鈴「例えばですよ、危険物運搬中、駐車してある車をたまたま悪い人が見つけて、それに火を点けて燃えました。警察が来て、聞きました。ちゃんと見張っていなかったんですね? どこ行ってたんですか? 運転手は答えました。ご飯食べて休憩してました。時間? 2時間くらいですかね。警察官は言います。いやいや運転手さん、それはダメですよ、2時間も放置すりゃぁ、そりゃイタズラされますよ。こうなるでしょうね。でも実際には、トイレも食事もできないなんて不可能ですから、みんなやってます」
私「正に、その話が聞きたかったんだ!」






藤君は私達のやりとりを笑って見ていた。やっと私が満足感を示したので、鈴木先生は「じゃぁ次の教習の準備あるので…」と逃げて行った。こんな天気の日に俺の休憩時間を奪わないでくれっ(祈)!というのが本音だろうけど、学科試験を受ける前に答えてくれなかったのだから自業自得というものだ…笑。うん、人生は実に上手くできている。








教習受けてた時に撮った写真だけど、懐かしいな〜。








今気付いたけど下の写真、廊下で防犯カメラ作動中だったのか。意味あんのかな?













鈴木先生は、動物に例えると、犬より猫かなって思う。だけど野良猫っぽくないし、かと言って飼い猫っぽくもない。兎? 飼った事ないけど。そんな可愛くないか。エゾリスかなぁ。












鈴木先生に会えて良かったな、本当に。(中盤②に続く)
















藤君のこと

2015年9月2日 前半



雨が降っていた。
出掛けようとした直前になって、更に激しくなった。
9時にバスターミナルで待ち合わせの予定だったが、8時22分に藤君からバスターミナルに到着した旨のLINEがきた。おいおい…予定より30分以上も前ですよー。
LINEがきた、と言うかLINEがきていたが、案の定私はバタバタと用意をしていて、LINEに気付いたのは8時45分頃だった。







藤君とは、先月、沼ノ端自動車学校で知り合った。
仮免が同じ日で、唯一、一般人(教官以外)で私の運転する車に乗った事のある人物だ。まだ未だに友達も家族も乗せて運転していない。
ちなみに藤君とは、私が勝手につけたあだ名だ。藤君は活性の火にも2日とも来てくれた。


仮免合格した後の学科の授業で、確か経路の設定ってヤツかな? その日合格したのは私と藤君の二人だけだった。 そこで、鈴木先生が「お二人は待ち合わせ時間の何分前に行きますか?」と話をふった時、藤君は平然と「2時間前」と答えた。


鈴木先生は“神の右手”を持つ私の担当教官だ。“神の右手”については、いつかまた書こう。
そんな鈴木先生も、ご本人曰く“時間にうるさい”そうだが、さすがに藤君の「2時間前」には仰天していた。


で、次に私が聞かれた。「親しい友達には、ごめん1時間遅れる…が日常茶飯事です…」と正直に答えたら、今度は鈴木先生と藤君が仰天していたが、「運転には時間に余裕を持ちましょう。それでも遅れそうな時には、言葉を借りるようですが、ごめんちょっと遅れるって予め連絡しておいて、心の余裕を持って運転する事も大事ですね」とまとめた。鈴木先生、非常に良いまとめ方だな。うん。






藤君と私が親しくなったら、藤君は3時間待たなくてはならない計算になる。
しかし今回の待ち合わせではそれは防がれた。
藤君に私の宿泊場所まで来てもらう事にしたからだ。



私が宿泊場所である自治会館でバタバタやっていると、自治会の役員さんが「傘はあるのかい? なかったらここにある傘使っても良いよ」と親切に声を掛けてくれた。折り畳み傘しか持っていなかったので非常に助かった。そうこうしていると藤君が到着した。藤君は傘を2本持って来た。みんな優しいなぁ。







朝ご飯を一緒に食べて、緑ヶ丘公園展望台へ向かった。雨だから眺望良くないかな?って言ったら、いや、霧が出てなければ意外と大丈夫ですよ、って藤君が言うから行ったんだけど、市民病院でバスを降りたら更に風雨が強くなっていて、展望台に着いた頃には霧がかかっていた。










雨の苫小牧。しっとり、ひんやりしていた。これもまた良いか。
藤君が展望台から見える建物を一通り案内してくれた。遠くにフェリーターミナルと、前回合宿免許の時に滞在していたホテル於久仁が見えた。






晴れていたらウトナイ湖に行く予定だったが、この天候なのでイオンでボーリングに変更した。雨は益々激しく降っている。展望台の森を出ると、とにかく横風が凄くて、借りた傘が壊れるんじゃないかと心配になった。心配するよりもなにもとにかく暴風雨で、思うように前進できない。靴はもうビッショリで、急いでタクシーに乗り込んだ。視界は悪かったが、イオンへの道が路上教習で何度か通った道だという事はわかった。確か2番のコース。違ったっけ? まぁ良いや。懐かしい。今度来る時にはレンタカーで自分で運転しよう。






イオンに着いて、私達はまず靴下を買った。藤君は靴も買った。
ボーリングを2ゲームやった。藤君が2勝した。私はボーリングで誰かに勝った事がない。藤君はカーブをマスターしたらしく、とても満足そうにしていたので良かった。






こんな日に教習所を訪ねるのもなんだかな…という感じもしたが、次の日にスーツケースをゴロゴロ引きながら行くのも更に大変だし、せっかく藤君もいるので、大雨の中、教習所に行く事にした。本当に豪雨だ。バスでとか歩きでとか言ってられない。再びタクシーに乗り込んだ。



道路は川のようになっていて、時折りバシャッと滝の中をくぐるように車は走る。水しぶきはかからないものの遊園地のアトラクションよりリアル。当たり前か。現実だもの。しかしあの高速実習の時のように、どこか現実にいないような気分でここにいる自分。ただ予定外のタクシー代が気になった。やはりイオン銀行で余分にお金をおろしておくべきだったか? それまでなんとなく会話していた藤君に「あの、緊張してます? 久しぶりに教習所行くから…」と言われて我に返った。







緊張はしないさ。だけどみんな居るだろうか? (中盤①に続く)










2015年9月1日火曜日

9月の空

2015年9月1日



いつの間にか8月が終わっていた。
昨夜は実行委員のうちの一人と、イベント運営の難しさを話し合った。
まだわからないけれど、来年はもう娯楽場パークではできないんじゃないかなって話だった。


やっぱり街中で大きな音を出す音楽は厳しいのだろう。
日曜日にも苦情がきたそうだが、それはまだ夜遅いとは言えない時間帯だった。


今度は苫小牧の外れの、人の住んでいないようなところで…って言ってたけど、そうなると普通の夏フェスに似ちゃうよね…。“ 街中に活性の火を灯せ ”っていうコンセプトからはちょっと離れてしまうような気がする…。


資金的にも赤字のようだ。
大人数のボランティアがこんなに働いているのにね…。
市役所や学校や協力者達が無償で資材を貸して下さったのにね…。
確かに、ライブ用のステージ機材のレンタル代とか、ポスター・パンフレット・横断幕発注代…。その他、私の把握していない諸々の費用。勿論、募金箱に集まった寄付金にも頼っている。


でも、アンケートによると、もっと寄付しても良いよって方が何人もいらっしゃったらしい。
これは非常にありがたい事ですね。







今日は午後からの作業だったので、久しぶりにちゃんとした朝食をレストランで食べた。それから、宿舎として使わせていただいている自治会館に掃除機をかけた。











7人で最後のテントを3ヶ所に返却して、夕方には私の仕事は終わった。
私の“活性の火2015”は幕を閉じた。


宿舎に戻って仮眠を取った後(ブログを書いているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた)、初めてコンビニ以外で夕食を取れる時間だったので、夕食を食べに駅前まで歩いた。一人で街を歩いていたら、ただただ通常の街で、普通に人々が生活していて、なんだか本当に全てが終わってしまったんだなぁとしみじみした。







今までは一日の終わりに、長い作業が終わってようやく一人になると、ホッとする部分が強かった。しかし全てが終わってしまって一人になると、突然、毎日一緒に作業していたメンバーが懐かしく思えるし、急に寂しくなる。まだ1週間分しか彼らの事を知らないのに、不思議なもんだな。













ボランティアだから労働費は出ないけれど、報酬として嬉しいものをいただきました。
エルキューブの皆様、どうもありがとうございます\(^o^)/
同じものが2枚あったので。もう1枚は、ちゃんとエルキューブ内に貼られています。








明日のライブ楽しみだ(^_^)